2024年8月の記事一覧

網走南ケ丘高校 黎明通信・支部だより 令和6年度 第2号

 黎明通信・PTA支部だより8月号を担当する第7支部です。第7支部は北見市常呂町の支部で、オホーツク海とサロマ湖に抱かれた砂州に花々が映える「ワッカ原生花園」など、自然豊かな恵みの中で農業と漁業が栄える 地域です。日本最大規模の通年型カーリングホールを有し、「常呂遺跡」と「ホタテ養殖発祥の地」の歴史が息づいています。写真は、生徒たちが毎朝通学で利用する北見市常呂交通ターミナル(旧国鉄:湧網線常呂駅跡地)で、毎朝ここから多くの生徒が網走の高校に向け出発します。ここから網走南ヶ丘高校までの距離は約40㎞あり、ジャガイモ畑、ビート畑、オホーツク海、能取湖、網走湖を横目に眺めながら、四季折々の風景をひた走る網走バスに揺られながら登下校しています。


 さて、ここからは、北見市常呂町がゴールになっている『サロマ湖100㎞ウルトラマソン』について紹介していきます。
■サロマ湖100㎞ウルトラマラソンは、いつ頃から始まったのでしょう?
 株式会社アールビース(当時ランナーズ)の前代表、橋本治朗氏が偶然サロマ湖のポスターを見て、「こんな所で走ることができたら・・・。」と思い立ち、地元3町(常呂町・佐呂間町・湧別町)に思いをぶつけ、地元の人たちは半信半疑ながらも第1回大会がスタートしました。
 サロマ湖は周囲92㎞ですが、オホーツク海に注ぐ湖口と密漁防止のための立ち入り禁止区域を除くと湖畔に沿うコースは約70㎞。そこに常呂川土手の往復などをプラスして100kmを設定し、1986年9月14日(日)にランナーズ誌に掲載した告知で、全国から58人が集まり、翌年に正式大会を開催するためのプレ大会として開催されました。翌1987年には、正式大会として開催され、100kmの部に216人、50kmの部に63人が参加しました。1988年には、100kmの部は526人に、以降は回を重ねるごとに参加者が増え、1994年の第9回大会では「IAUワールドチャレンジ」として開催され、アジア地区初の開催となる等、全国のランナーにとって憧れの大会へと育っていきました。  
 2024年、今年の第39回大会は、100kmの部に3,371人、50kmの部に535人が申し込みされる大会となりました。

■大会記録豆知識
【100㎞ロード世界記録】
   男子:アレクサンドル・ソローキン(リトアニア) 6時間5分35秒
   女子:安部友恵(日本) 6時間33分11秒 *2000年サロマ湖100㎞ウルトラマラソン
【100㎞ロード日本記録】
   男子:山口純平(日本) 6時間 6分8秒  *2023年サロマ湖100㎞ウルトラマラソン
   女子:安部友恵(日本) 6時間33分11秒 *2000年サロマ湖100㎞ウルトラマラソン

 

■サロマ湖100㎞ウルトラマラソンの魅力は?
 世界陸上競技連盟、日本陸上競技連盟、国際マラソンロードレース協会、国際ウルトラランナーズ協会の公認コースとなっており、格式が高い大会であること、10回完走すると「サロマンブルーメンバー」20回完走で「グランドブルーメンバー」の認定制度があり、足形プレートがゴール地点に永久に保存される等、参加者の目標になっていることがあります。
 また、自然環境が美しいサロマ湖やワッカ原生花園(国定公園・北海道遺産)が舞台の大会であり、地元中学生、高校生を含む約2,000人のボランティアスタッフ、運営スタッフの応援する気持ちが伝わっていることが最大の魅力かもしれません。
 もちろんこのスタッフの中には、第7支部の生徒もお手伝いに参加してくれています!

これで第7支部の紹介を終わります。